手術できる?or手術しなければならない?
同じ現実でも全く異なったふうに認識できるようです。美味しいお酒を楽しんで瓶の半分飲んでしまった時に、瓶に残っている酒を見て、「もう半分しか残っていない」と思うか、「まだ半分も残っている」と思うかという話はよく知られています。手術についても同じような話ができます。「手術しなければならない」と考えるか、「手術ができる」と考えるかです。
基本的に手術できるという場合は、ある意味幸運なことなのです。極端な話をすれば、癌の場合、進行癌であちこちに転移しているような方ですと、「手術はできないので、抗癌剤や放射線治療を行う」と言うのは、手術で全部とれないので治る可能性はないということを意味します。一方「手術できる」というのは、「手術をすれば治る可能性がある」ということを意味しています。癌のような極端な話でなくても、御高齢の方で、腰の骨がひどく歪んであちこちの神経を圧迫して、坐骨神経痛や腰痛が出ている場合はどうでしょう。坐骨神経痛で亡くなることはないでしょうが、御高齢の方を全身麻酔で手術すれば、心不全や肺炎やその他の合併症でなくなる可能性は否定できません。外科の先生は、「手術はできません」と言うことになるでしょう。逆に、腰の「手術できますよ」と勧められるのは、その患者さんにまだ体力があって心臓や肺も健康で、手術をして治せる可能性が高いと言われているのですから喜ばしいことです。
一方、「しなければならない」手術などこの世に存在しないと思っています。たとえ、癌であって、「今手術すれば命は100%助かるが、手術しなければ2年持たない」と言われたとしても、患者さんがその意味をよく理解したうえで、御自身の信念・判断で手術を拒否されるなら、それは尊重されるべきだと思います。
できれば切らずに済ませたいのが人情ですし、手術にはどうしてもギャンブル的要素を消すことができません。手術は、幸いにも「できる」(比較的安全でよくなる確率の高い)手術と、残念ながら「できない」(危険でよくなる確率の低い)かです。大切なのは、手術の危険性と手術によって得られる改善の可能性とをよく聞いて理解したうえで、「なければならない」でなく「できるのだ」という御自身の積極的な意思によって決めることだと思います。